高濱虚子 作品抜粋



pin03f.gif 虚子俳句50(新年より)
pin03f.gif 小説「虹」より
pin03f.gif 主な俳人の初めてのホトトギス巻頭入選・・・虚子雑詠選以降
pin03f.gif 「虚子俳話」の序文から・・・





1.  虚子曰く
  「俳句如何ぞ叙情詩ならんや、けだし俳句は叙情詩なるもあり 叙事詩なるもあり又叙景詩なるもあり。」  明治28年


虚子俳句50(新年より)・・・         坊城俊樹 抄出
去年今年貫く棒の如きもの
大空に羽子の白妙とどまれり
手毬唄かなしきことをうつくしく
やり羽子や油のやうな京言葉
たとふれば独楽のはぢける如くなり

碧梧桐とはよく親しみ争ひたり
鎌倉を驚かしたる余寒あり
凍蝶の己が魂追うて飛ぶ
紅梅の紅の通へる幹ならん
ものの芽のあらはれ出でし大事かな
春風や闘志いだきて丘に立つ
一つ根に離れ浮く葉や春の水
怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜
ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に
蛇穴を出て見れば周の天下なり
亀鳴くや皆愚かなる村のもの

天日のうつりて暗し蝌蚪の水
咲き満ちてこぼるる花もなかりけり 土佐日記懐にあり散る桜
海女とても陸こそよけれ桃の花
帚木に影といふものありにけり
眼つむれば若き我あり春の宵
春の山屍をうめて空しかり
白牡丹といふといへども紅ほのか
牡丹の一弁落ちぬ俳諧史   松本たかし死す
蓑虫の父よと鳴きて母もなし
神にませばまこと美はし那智の滝
夏潮の今退く平家亡ぶ時も
虹立ちて忽ち君の在る如し
蜘蛛の糸がんぴの花をしぼりたる
風生と死の話して涼しさよ
凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
風が吹く佛来給ふけはひあり
天の川のもとに天智天皇と臣虚子と
虚子一人銀河と共に西へ行く

石ころも露けきものの一つかな

子規逝くや十七日の月明に 黄亀虫擲つ闇の深さかな
燈台は低く霧笛は峙てり
秋風や眼中のもの皆俳句
桐一葉日当りながら落ちにけり
爛々と昼の星見え菌生え
ふるさとの月の港をよぎるのみ
遠山に日の当りたる枯野かな
流れゆく大根の葉の早さかな
大根を水くしやくしやにして洗ふ
天地の間にほろと時雨かな
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり
旗のごとなびく冬日をふと見たり
手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ
大空に伸び傾ける冬木かな




2.  虚子曰く
  「子規居士の写生の価値を認めたといふ事はとりもなほさず自然に絶大の価値を認めたといふ事になる。
 ここに自然といふのは天然と人事とを一切ひつくるめていふ事である。自然界の現象、人事界の事相に、従来よりも遥に多くの価値を認め、其一現象、一事相の描写に絶大の意義を見出す事になつたのである。」  大正13年
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小説「虹」より
  −音楽は尚ほ続きをり−・・・抜粋
 愛ちやんはがんばつてをります。水晶の念珠を右手にかけて、今生の縁を楽しんでをる様です。

 と言ふ柏翠の葉書が来た。私は其手紙を受取つてから、水晶の念珠を右手首にかけてゐるといふことが頭を離れなかつた。あの病み衰へた手首に水晶の数珠をかけてゐるのかと、昨年の十月に其病床を見舞つて親しく見た其細い手首を想像するのであつた。さうして其数珠を手首にかけてまま静かに横たはつてゐる様がけなげにさへ思はれるのであつた。さうして又私の夜眠れない時かどは其水晶の数珠を手首にかけて静に寝てゐる愛子の要子を想像してゐると気分が落着いて来て、いつか静に眠に落つる事が出来るのであつた。

 さうしてこんな電報が来た。

 ニジ キエテスデ ニナケレド アルゴ トシ  アイコ

 生死の境を彷徨してゐることがわかつた。電話が通じれば電話をかけたいと思つたが、 郵便局に聞き合すと、小諸から三國へは通じないとのことであつた。
それから柏翠の葉書が来た。

 四月一日午後四時五十分でございました。只今納棺を致しました。 「小諸雑記」一冊と新しい句帳を入れました。その前に母達と愛子を先生の命名して 下さいましたあの九頭竜川に臨んでゐる二階の愛居に運びました。行き度いと 云ひ遺しましたので。

 虹の上に立ちて見守るてふことも   愛子
 虹の上に立てば小諸も鎌倉も     同

 愛子は始終虹のことを考へながら息を引取つたものらしかつた。


−昭和22年7月−   




3.  主な俳人の初めてのホトトギス巻頭入選・・・虚子雑詠選以降
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◆ 渡辺水巴・・明治41年10月号

花鳥の魂遊ぶ絵師の午寐かな
長者許山伏共の午寐かな
草山を又一人越す日傘かな
雨に逢ひし衣壁にあり蚊遣焚く
出船送り入船待て水を打つ
葛水や顔青き加茂の人
夜濯ぎの心やすさよ飛ぶ蛍
山百合に雹を降らすは天狗かな
手習の子の親々の案山子かな
女の子交りて淋し椎拾ふ
旅笠にあわただしさよ椎落つる
山越えて海の日がある芒かな


◆ 前田普羅・・大正2年3月号

雪晴れて蒼天落つるしづくかな
農具市深雪を踏みてかためけり
雪の峰に人を殺さぬ温泉かな
荒れ雪に乗り去り乗り去る旅人かな
雪明り返へらぬ人に閉しけり
かるみの本町暗し冬至梅
雪垂れて落ちず学校始まれり
炭割れば雪の江のどこに鳴く千鳥


◆ 原 石鼎・・大正2年6月号

やまの娘に見られし二日灸かな
柿の木の幹の黒さや韮の雨
囀や杣衆が物の置所
高々と蝶こゆる谷の深さかな
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月
花の戸やひそかに山の月を領す
石楠花に馬酔木に蜂のつく日かな
やま人と蜂戦へるけなげかな
虎杖に蜘の網に日の静なる
腰元に斧照る草の午睡かな
粥すする杣が胃の腑や夜の秋


◆ 原 月舟・・大正2年12月号

漆掻く肉一塊や女なし
あざけりの礫戸に聞く夜学かな
わが母を賢しと思ふ夜学かな
古き歌うたへば悲し草の月
朝壁画かけしが秋の出水かな
秋出水かくてすたれる俚謡かな
水桶に澄む山影や秋出水
糧ためる蟻の心に萩晴れぬ
無花果を好く妻弱し廚事
大木を枯らす鴉や秋の暮
塔見ゆる浜辺の秋ぞ空せ貝


◆ 村上鬼城・・大正3年1月号

初雪の見事に降れり万年青の実
瓜小屋に伊勢物語哀れかな
樫の実の落て駆け寄る鶏三羽
秋空や天地を分つ山の王
小春日や石を噛み居る赤蜻蛉
茨の実を食うて遊ぶ子哀れなり



◆ 飯田蛇忽・・大正3年3月号

冬山に僧も狩られし博奕かな
或夜月に富士大形の寒さかな
書楼出て日寒し山の襞を見る
束の間の林間の日や茎洗ふ
山賤に葱の香強し小料理屋
人妻よ薄暮の雨に葱や取る


◆ 石島雉子郎・・大正3年10月号

鯉浮て栗落ちて水輪相うてり
我子病めば死は軽からず医師の秋
兵役の無き民族や月の秋
鳳仙花花空けば又住む門長屋
移り来し人の喪服や鳳仙花
会はで発つ義理や乳母知る虫時雨
とぶ蜻蛉鉢巻取りて会釈かな
舟人の眠れる棹に蜻蛉かな
流れ棹追うて離れて蜻蛉かな
蜻蛉や盗るにまかせて門瓦


◆ 西山泊雲・・大正4年11月号

松明揚ぐれば峡中赤き夜振かな
小百姓の廂普請や芋の秋
芋虫の糞の太さや朝の雨
芋の葉に玄翁の火や医師碑彫る
鍬軽く十の田の水落しけり
郵便夫に犬つき行くや草の花
一本の黍の鈴なりの雀かな
野分晴穂黍押しわけて水貰ひ
抱き来て如何に備へん案山子かな
江の島に朝寒の旭のあたりけり
藪開墾きし根で風呂焚くや秋の暮
葉を喰はれて芋や土中に黙し居る
月の萩うねりに堪へて虫も啼かず
乞食に銭投げやるや草の花

◆ 長谷川零余子・・大正7年7月号

大島晴れて木の芽に風の荒きかな
寝惜しめば花茣蓙にかげる月ありし
芋掘の提灯太し露の中
蓼ー倒れし廚戸にかかる驟雨かな
障子しめて火桶なつかし若楓


◆ 岩木躑躅・・大正8年2月号

地の窪に屋の棟見ゆる冬野かな
我が倚れる冬木しづかに他に対す
大根鎧へる壁の小窓の障子かな
歳晩や遅参ながらもほ句会へ
ひろ庭の霜に焚火や僕夫婦



◆ 池内たけし・・大正8年11月号

来る後に暮るる霧あり野路の秋
見えがてに遅るる人や野路の秋
直ぐ消えし水輪や秋の水広し
絵馬堂の乾ける土間や秋の雨
雨降れば濡れて乾ける桐一葉
人出でし門を通るや秋の暮
古道や真間の入江に沿ひて秋
秋寺に人さわがしや詣で去る


◆ 日野草城・・大正10年4月号

遠野火や寂しき友と手をつなぐ
牡丹や眠たき妻の横坐り
春雨や頬と相圧す腕枕
星を消す煙の濃さ見よ夕野焼く
深夜の卓のさくらんぼうに聖く居し
春泥に刎泥もあげたる素足かな
春宵の咽喉に影落つ襟豊か
ストーブを背に読む戯曲もう十時


◆ 鈴木花蓑・・大正十年12月号

夕焼す縁側へ月の供へ物
木蔭より耳門入る月の寺
風の樹々月振り落し振り落し
蟋蟀や月の廚戸隙だらけ *こほろぎ当字


◆ 阿波野青畝・・大正13年9月号

お命講かかはりなしや余所の寺
傘やでで虫の垣すれ出づる
蚊帳の香や寝覚めあはせし声のして *かや当字
蚊柱や吹き浚はれて余所にあり
蚊の柱ちりもおほせず二日月
吾妹子も乗せて漕出て浪すずみ
網舟の波とうちあふ浮巣かな
月涼し鳥不宿の棘のかげ


◆ 川端茅舎・・大正13年11月号

からくりの鉦うつ僧や閻魔堂
閻王や菎蒻そなふ山のごと
閻王の涎掛せる拝みけり
侍者恵信糞土の如く昼寝たり
塔頭の鐘まちまちや秋の雨
しぐるるや僧も嗜む実母散


◆ 水原秋桜子・・大正13年12月号

夕月のたへにも繊き案山子かな
たのしさはふえし蔵書にちちろ虫
句修行の三十路に入りぬ獺祭忌
宵闇や通ひなれたる芋畑
鯊釣や友舟とほき澪標
暮潮の芥まとひぬ鯊の魚籠
やうやくに倦みし帰省や青葡萄


◆ 高野素十・・大正15年9月号

打水や萩より落ちし子かまきり
蟷螂やゆらぎながらも萩の上
露けさや月のうつれる革蒲団
雨晴れてちりぢりにある金魚かな
門川をやがてぞ去りぬ魂送り


◆ 松本たかし・・昭和4年3月号

鶺鴒のあるき出て来る菊日和
白菊の枯るるがままに掃き清む
狐火の減る火ばかりとなりにけり
立てひらく屏風百花の縫ひつぶし


◆ 中村草田男・・昭和5年10月号

つばくらめ斯くまで並ぶことのあり
蝸牛やどこかに人の話声
水影と四つとびけり黒蜻蛉
家を出て手をひかれたる祭かな
前空となく稲妻のひろかりき




4.  虚子曰く
 「選といふことは一つの創作であると思ふ。 少くとも俳句の選といふことは一つの創作であると思ふ。」  昭和6年
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「虚子俳話」の序文から・・・

   序


 終戦になった昭和二十年頃だったかと思ふ。まだ小諸の疎開地にをった頃、膝を容るるに足る茅屋に大佛次郎氏が突然訪ねて来た。この方面に来たついでに訪ねたとの事であったが、こんな話をした。
 「朝日新聞の東京版に、今度俳句を募集することにしようと思ふのだが、その選をしてくれないか。」
 大佛氏は朝日新聞社の意を受けて来たもののやうであった。
 戦争の為に各新聞の体裁も激変を来たして、それまで紙面を賑わしてをった俳句は、戦争に関するものが時々載る位のもので、紙面から殆ど跡を断ってゐた。その時に当って、俳句の為に率先して紙面を割かうとする事は喜ばしい事と思った。
 はじめは東京版のみであったが、間もなく大阪(大阪)小倉(西部)名古屋(名古屋)にも及んだ。
 その後、昭和三十年四月から募集句に評を加へ、小俳話をも合せ載せることになった。 これも新聞社の要望に依ってであった。その俳話を集めたものが、この「虚子俳話」である。
 大東亜戦争が、日本国民の思想の上に大きな影響を齎した事は争はれない事実であらう。 当時新聞記者のインタビューには必ず戦争の俳句に及ぼした影響を聞くのであった。私はそれに対して斯う答へるのが常であった。
 「俳句は何の影響も受けなかった。」
 新聞記者は皆唖然として憐むやうな目つきをして私を見た。他の文芸は皆大いなる影響を受けた、と答へる中に、又、私以外の俳人は大概、大きな影響を受けた、と答へる中に、一人何の影響も受けなかったと答へるのは、痴呆の如く見えたであらう。
 その後、俳句界の論議がだんだん興って来た。又、俳句の革新が叫ばれ、種々の新しい旗印が打ち建てられた。
 私は依然として、俳句は伝統芸術であり、花鳥諷詠(四季の現象を花鳥の二字で代表せしめ)の詩である、といふ言葉を返すばかりであった。
 「深は新なり。」
 「古壺新酒。」
 私はこの二標語をも亦たここに繰返して置く。
 俳話のあとに、その執筆当時に出来た私の俳句を載せるのを常とした。これは俳話と何の関係もないものである。書物に纏めるに当たって、省かうと思ったが、東都書房の窪田氏の勧めによって其儘載せる事にした。

昭和三十三年一月六日   
  鎌倉草庵にて   
  高濱 虚子   



5.「虚子俳話」から・・・
 俳句は季題の詩

 従来の俳句に季題といふものがつきまとうてゐるのは、何かさうしなければならん理由があるのだらうか。あると思ふ。併し仮にこれは偶然の事だと考へてもよろしい。
 仮に偶然の事から季題は俳句より離れる事が出来なくなったとしても、それは俳句の特性として尊重すべき事実である。
 季題を俳句から排除しよう、若しくは季題を軽く見ようとする運動が一部にあるやうであるが、それも結構な事である。やがて新しい俳句型の詩が生れるかも知れない。例へば川柳と号した俳人が川柳を創めた如く。けれどもそれが価値のある立派な詩となるかどうか。それを試みやうとする人には余程の忍耐と勇気を要する。
 私は俳句は季題の詩として今後も育てて行く事に安心と誇りを持つ。

昭和30年4月10日
  花鳥諷詠

 俳句といふものは、老練な者は老練なり、初心な者は初心なりに作ったり鑑賞したりしてゐるものなのだ。四季循環による現象、春夏秋冬の風光に心を留める事が出来るやうになる事は、俳句を学んで得る第一の徳である。生まれながら心の高く深い人もあれば、低く浅い人もある。各々その天分に従って俳句を学べばよい。学んでをるうちには低きより高く、浅きより深きに赴く事もできる。先づ各々その天分によって俳句を学べばよい。志が花鳥風月にあればよい。志が花鳥風月にあるといふ事、それが俳句によって救はれた事になるのである。
 人間、社会万般の事は俳句の材料となり得る。而も四季の現象の中に現はれたる人間、社会の事に限る。それが俳句である。
 俳句界にはしばしば新運動が起る。それは花鳥風月に疑問を持ち、この縄墨を破らうとする運動である。私は単に詩としての花鳥風月否定論、若しくは軽視論ならば必ずしもこれを否まない。が、もともと花鳥風月を生命とする俳句にとっては無意味な事である。

伝統詩たる俳句は「十七字」と共に「花鳥風月」といふ鉄則の許に存在してをる詩である。

昭和31年6月17日
  自然は大


 人は朋党を作り、社会を作り、国家を作ってをる。さうして自然の圧力に対抗してをる。さうして交互にまた抗争してをる。
 人から見ると社会、国家といふものは身近く、大きなものに見える。
 自然からこれを見ると、ちっぽけな存在に過ぎない。文明が発達するにつれて、人間の力がだんだん自然を征服するが如く見える。
 自然は遥かに偉大である。宇宙は無辺である。
 人間が闘争を続ければ国家社会は混乱する。地球が破壊すれば人間は無くなる。
 自然はまた、人間に(動植物に)無限の慈悲を垂れる。万物は太陽の存在の下に生を保ってをる。
 日月星辰百花百草禽獣蟲魚、あらゆるものの存在の中に人間は生を保ってをるのである。
 書斎を出て縁側に立つ。三尺の庭にも尚ほ草木蟲魚がある。仰げば空は日月星辰を蔵して無限大に広がってゐる。

昭和33年6月22日
  日本の文芸として



 時代思想といふ事がやかましく言はれる。今日に於ては殊に仰山に言はれてをる。時代思想といふものは、もとより今日に限られたものではない。徳川時代には徳川時代の時代思想があり、足利時代には足利時代の時代思想があったわけである。併しながらそれ等を通じて一貫して日本人の精神といふものがある。
 時代思想に反抗してと言ふと語弊があるが、時代思想に煩はされずして、最も日本的な文芸としてわが俳句は、昔より今日に至ったものと言へる。これを時代に取残された文芸と言ふのは、言ふ人の勝手であるが、私はさうは思はない。いかなる時代をも貫通してゐる恒久的な日本の文芸として俳句は存在する。時代によって多少の変化はあらうが、根本の花鳥風月の精神には変りはない。みの花鳥風月の精神は寧ろ日本人の誇りとすべきものであらう。私はさういふ信念に立ってをる。
 子規を芭蕉時代に置いても、又芭蕉を子規時代に置いても、事俳句に関する限りは、格別変りは無いと思ってをる。
 又、今の時代に後れざらん事にのみつとめたものは、あわただしく転変する次の時代にはもはや時代後れのものとして取残されるものかもしれぬ。時代を超越した花鳥諷詠の俳句は、次の時代も、又次の時代も、常に特異な存在であの得るであらう。

昭和31年12月16日
  生々流転



 今年また私の庭の小さい池にいつか蟇や蛙が水に飛び込んだり這ひ上ったり
「蝌蚪の紐」が浮かむやうになって来た。

   この池の生々流転蝌蚪の紐     虚子

 まことに万物の生々流転の姿が心をひいた。春立ち、夏来り、秋去り、冬至る、一年の流転の忙しさが心を引く。
 この句はその心持を「生々流転」の文字で現はに表はしてをる。若しこの句をよしとする人があらば、そはこの「生々流転」と現はに言った処にあるのであらう。併しながら、彼の、

   古池や蛙飛び込む水の音      芭蕉

 の景色を叙するのみであって、何の主観の表現をせず、その中に生々化育の意を寓し得てゐるのといづれぞや。

   流れ行く大根の葉の早さかな    虚子

 大根は二百十日前後に蒔き土壌の中に育ち、寒い頃に抜かれ、野川のほとりに山と積まれて洗はれるのであるが、葉っぱの屑は根を離れて水に従って流れて行く。水は葉をのせて果てしなく流れて行く。ここにも亦た流転の様は見られたのである。

昭和31年4月8日