4月の俳句
見送ると言ふ一会あり鳥帰る  緋輪


浦安の海


虚子の時代「武蔵野探勝」と称して、月一度東京近郊を吟行する句会をしていた。その句会は、昭和五年より昭和十四年までの間に百回続けられた。今回は、その十六回目にあたる「浦安」へと出かけてみた。
その時代の交通機関は、深川の高橋と言うところから狭い汚らしい船室に、茣蓙を敷いたばかりの座席と腰掛けが並べてある船(池内たけし報による)であったらしい。

その交通機関とは大違い、東京駅のホームの歩く歩道を二度乗り換え、エスカレータを三度乗り換えて降りていくと、やっと(本当にやっと)京葉線のホームに着いた。やたら子供の姿が多い。そうだ!この沿線にはディズニーランドがあったのだ。
当時の会報では、船から下りた人は大方が鯊釣りの人だと書いている。その日と同じように良い天気ではあるが、時期も三月と十一月のことで、少し感じが違うのは仕方ない。
埋立の街
街並1 まさに、広大なディズニーランドを通り過ぎ、新浦安の駅に着くと、未来都市のような光景であった。新しい町並み、まだ若々しい街路樹、高層マンションの数々・・・・・虚子が行った当時は、きっとこの辺まで海だったのだろう、と思うと感慨深いものがあった。
埋め立ての先の海には、海苔粗朶が並んでいた。当時の会報にも「冬には海苔舟が沢山出るそうな」と書いてある。当時の会報との共通点があって、ちょっとほっとした。 海苔粗朶
鳥を見送る その海の遙か沖を見ていると一塊になったものが飛んでいく。次は一直線になったものが・・・・遠目ではっきりしないが、確かにあれは鳥が帰っているのである。少し間をおいてまた一塊、また一直線に・・・どれだけの鳥が飛んでいっただろうか・・・・
最後の鳥を見送ると、何事もなかったように、沖には船が浮かび静かな海が目の前にあった。
虚子の武蔵野探勝の時代を、遙か隔てて訪ねた浦安は、人の手で大きく変えられていたが、鳥はその当時もきっとこの海を渡って、大陸へと帰って行ったのだろう。

(緋輪)



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